私立医学部受験の世界

 

 

1国公立と私学

医学部は、納める授業料の多寡によって二分することができる。6年間総額で350万円程度の国公立と、6年間の総額で概ね3000万円以上であって、一般的なサラリーマンや公務員では支払いが不可能な金額を納入しなければならない私学とである。

したがって、広く一般国民に開かれている医学部とは国公立大学のことであって、私立医科大学は学力を高める以前に、預金残高を高める必要がある。すなわち、私立医科大学に入学できる学生は、そもそも高額所得者の子供と言うことになる。つまり富裕層内での学力選抜試験という性格を持つ。

 

2異常な難易度

好むと好まざるとに関わらず、大学進学の普遍化に伴い、大学に対しては学問・教養の涵養を求めるのではなく、職業訓練校としての性格が求められるようになった。つまり、就職に有利な学科はどこか。就職に有利な大学名はどこかと言うことである。後者の場合には大学名が求められるのであって、学科の選択以前に大学名の選択が求められる。

このような、職業訓練校としての最高峰は医学部医学科である。なんと言っても、高収入と地位と名声が手に入るとなれば、学力に覚えのある受験生にとっては受験しない手はない。その結果、国公私立問わず優秀な受験生が殺到し、その難易度は尋常ならざるものとなった。その代わりに、理学部系の凋落は激しい。

大雑把に言えば、ほとんどの国公立の医学部医学科は東大理科Ⅰ類並で、東工大に入る学力では不足である。また、私立については、難関私立医大については早慶理工学部に入る学力ではまだ不足であり、最も易しい私立医学部でさえ早慶理工か同程度以上である。それほどに厳しいのである。

 

3私立医学部入試は後継者問題である。

1で述べたように私立大学医学部に子供を送り込める家庭はほんの一握りの高額所得者のみであって、私の経験でも医師家庭のほかは、地場産業のオーナー社長の子供や、流行っている士業の子供たちである。

20年ほど前であったが、旅客機のパイロットの息子さんの指導をしたことがあるが、彼が某私大医学部を受験した際の面接で、「君のお父さんの職業は会社員とあるが、財政的には大丈夫か。どこの会社かな」とストレートに聞かれたそうである。返事として「大手航空会社のパイロットです」と答えたところ、「そうか」と声が明るかったそうである。もちろん彼は合格した。

私立医学部は、そもそも資産家や高額所得者の子供たちのために存在していて、実のところ、開業医の後継者作りのためにあるといってもよいくらいである。

 

4国立大学医学部は秀才の存在証明

今や、国立大学医学部は東大理科1類や2類と同等かそれ以上の難易度である。全国的に有名な進学校の中で名うての秀才たちにとってはめざす頂として不足はない。したがって、医師になりたい欲求よりも、高偏差値大学出身者でありたいという意図から受験する者も少なくない印象を受ける。

私の知っている例としては、やたらに数学ができる高校生が、東大理3を受験して合格したものの、結局、現場の医師としての仕事になじめず、最大手の生命保険会社に就職し、担当役員をめざしているという話もあった。

 

5五浪ちゃんに四浪子ちゃん

いっぽう、地方小都市の大きな私立病院の院長の子息たちは、何不自由なく育てられ、一言で言えば、何でも実現できるという思い込みを持ったまま過ごした者もいる。

彼らの父親世代は、とりあえず私立ならば何とかなるだろうという古い経験から抜け出せないでいて、入学のための支度金をたんまりと用意している場合もあるが、医学部受験の過熱により、私立医学部の1次試験合格のためには最低でも東京理科大くらいは合格できる学力がないと無理であるから、あっさりと浪人することになる。

その後も、漫然と私立医学部専門予備校と称する年間300万円程度以上はかかる予備校に文字通り「滞在」するケースもある。そもそも、自発的に学習して、その成果を獲得するという経験も習慣もない子供たちが多いので、成績向上がひとまかせである。その結果、4浪、5浪となってしまう。我々教員間で、ひそかに五浪ちゃんに四浪子ちゃんと呼ぶ所以である。

 

6卒業するまでの道のり

めでたく、医学科に合格しても、その後の道のりは決して平坦ではない。本質が命に関わる職業訓練校であるから進級の条件も厳しい。さらに、数年前には今よりも不透明な入試システムも存在していたから、そもそも大学での講義について行けない学生も存在していた。某大学医学部では、一般教育英語の教員の反乱事件も噂として聞いたことがあるし、学業不振で放校となる者もいる。

また、大学では運動部に所属することを半ば強制的に薦めているとも聞く。理由としては、結束強化や卒業後のコネ作りあるいは、医局での上下関係に慣れるためなどと聞くが、なんと言っても、学内試験の過去問やらアドバイスなどを仕入れいるためでもあるらしい。しかしながら、運動部所属になじめず退学したりする学生もいる。

また、4年次にはCBTやOSCEという関門がある。これに合格しなければ、5年次以降の臨床教育に携わることができない。さらに最後には卒試と国試がまっているのである。

医師になるためには膨大な学習が必要で、いくつもの試験に合格しないといけないのである。

その結果、せっかく合格しても卒業できずに医学部を去る者もそれなりにいる。むしろそれは医師の職務に耐えざるものをフィルターする役目として良いのだろう。

 

7滑り止めとしての歯学部

医学部系予備校で働いていると、内部における受験ヒエラルキーを時として感じることがある。ここで言う医学部予備校とは、比較的小規模で、在籍する生徒数は多くても100人程度である。そして、ここが肝心なのだが、実情は「私立医学部受験予備校」である。中にははっきりと「私立医学部専門」と称してもいる。

つまり、これらの予備校は、後継者問題で頭を悩ませている医師の子息を預かっている予備校である。したがって、浪人を何年も続けている受験生もいる。私の経験では、最長9浪がいた。同僚の話によると12浪がいたとのことで、はっきり言って人生と親の資産の無駄使いであろう。

不思議なのは、受験を諦めない者が多いと言うことである。本当は、誰かが適性がない旨を伝えるべきだと思うが、親の思惑と予備校経営者の思惑が一致して、ひたすら予備校経営に資するだけである。

しかしながら、あるときに、医師になることに見切りをつける受験生もいる。すなわち、医師の道を諦めて歯科医師になる道を選ぶのである。

私立歯学部の難易度は、私立医学部に比べると数段低い。受験科目数も理科2科目に比して1科目である場合がほとんである。医学部の偏差値分布が62以上であるのに対して、歯学部の偏差値分布は55以下である。それも、下方に広く分布していて、ほぼ無試験状態の歯学部もある。

したがって、私立医学部予備校においては、私立歯学部受験者は競争から降りた受験生扱いになってしまい、窮屈な扱いとなりがちである。

 

8もとを取るための医師業

私は予備校教員になる前には、科学映画製作の仕事に就いていた。科学映画と言っても、製薬会社がスポンサーの新薬紹介映画である。ただし、学術映画としての内容を盛り込むために、旧薬との比較を、細菌増殖の制菌作用画面を顕微鏡下で撮影したり、内視鏡画像などを使って、新薬の薬理作用を説明するのである。

その制作の過程で、製薬会社や医用機器会社の人々とともに動くのである。その際には、ここでは書けないような扱いを受けたり、雑用を引き受けたり、夜の町の案内などもした。

そこで、聞いた話のひとつに、レーザーを利用したある分析器について、工業製品として出荷するときに比べて、製品の中身が同じでも医業向けとして出荷するときには3倍以上の価額をつけると言っていたのを覚えている。ただ、この話は相当前であって、今は違うのだと信じたい。

しかしながら、医療業界の中では、地球より重い命を救うという誰にも逆らえない言葉のもとで、あらゆる値付けが高めになっているのではないかという疑念は腹の底にいつも眠っている。

ひとつの国の中で、貨幣価値のことなる圏域をつくりだしていたのでは、国内に収奪される人々ができてしまう。そのなかで、青春期の我慢をその後の人生で大きくもうけることでとりもどそうとする意識が芽生えてもおかしくはないように思える。

 

9医師養成システムのイノベーション

明治期にはじまる近代的な教育制度をながめていて気がつくことは、必要に迫られて、学校を作り必要な教育を行ってきたように見える、それは、緻密に構成された教育制度というよりは、現物合わせとしての制度の整備のように思える。

2018年より、専門職大学が創設されている。専門学校との違いすら私は把握していない。また、中等教育学校が中学校と高等学校を合わせた学校として増えてきたが、義務教育学校という新しい制度もできて、小学校と中学校の垣根を取り払った新しいコンセプトの学校もできはじめている。

このような状況は、まるで明治期からの学制改革に匹敵するような気がするのである。そう考えると、医学部教育も相当に変革を必要としている気がする。

アメリカの制度が必ずしも一番良いわけではないが、まずは一般大学を卒業して、専門職大学院としてのメディカルスクール制度は検討に値すると思うし、あるいはコ・メディカルに従事している医療関係者の中から志が高く、かつ適性のある人々対象の医師養成大学院大学などの制度を作っても良いと思う。

また、文科省が医学部を規定して、医師免許を厚労省が管轄しているが、厚労省管轄の保健所の職員としての医師・獣医師などや、農林水産省管轄の検疫所職員の供給学校として、公衆保健衛生医科大学校や、防疫衛生大学校もできたらいいなと思う。現に防衛医科大学校があるのだから。

 

10すべての学校制度にもイノベーション

 ついでに一言えば、以上のことは、医学系学校に限らず、すべての学校あるいは教育制度に当てはまると考える。

 

以上は、ある団体の医療従事者の働き方改革シンポジウム会合後にしたためた一文です。